朝から、どうにも体が重かった。
洗濯機はまわしたけど、干す気力が出なくて。
昨日の夕飯の片づけも、テーブルに残ったまま。
冷蔵庫の野菜たちを見て、「これ、何に使えばいいんだっけ」と思考が止まる。
そんな朝でした。
「やることができない自分」を、ずっと責めてきた気がする
私は昔から、「ちゃんとしなきゃ」が口ぐせで。
人に頼られると、がんばっちゃうタイプ。
家族が安心して暮らせるように、手を動かし、頭を使い、
毎日を“ちゃんと回す”ことに必死だった。
でも、本音を言えば——
疲れてるときは、何もしたくない。
それでも、「怠けてる」「さぼってる」と自分を責めてしまう。
今日は、そんな声を黙らせてみようと思った日でした。
なにもしないって、すごく勇気がいることだった
洗濯物も干さず、
ご飯も作らず、
ソファでただ、ぼーっとする。
「これでいいのかな」
「私、ダメなんじゃないかな」
そんな気持ちが、ちらちら顔を出す。
でも、そのたびに深呼吸して、
「今日はもう、休もう」と自分に言ってみる。
不思議と、少しずつ、心がほどけていく感じがありました。
“何かをしなきゃ”じゃなくて、“今の自分を見守る”ということ
暮らしを整えるって、
毎日がんばり続けることじゃなくて、
“立ち止まることを許す”ことでもあるんだなって、思いました。
何もしない時間の中で、
自分の声がようやく聞こえてきた。
「ちょっと疲れてたよね」
「がんばってきたよね」
「今日くらい、ゆっくりしてもいいよね」
そんな自分の言葉に、うっかり泣きそうになった午後でした。
「休む」って、“なにもしない贅沢”なのかもしれない
・洗濯を明日にまわす
・インスタント味噌汁に助けてもらう
・子どもにも「今日は各自でお願い」と伝える
ほんの少し手を抜いただけで、
こんなにも時間に余白が生まれるんだ、と驚きました。
そして気づいたんです。
“なにもしない”って、こんなに贅沢で豊かな時間だったんだって。
最後に
片づけも、整えることも、料理も、洗濯も——
どれも大事だけど、
何よりも大事なのは、「自分の心がつぶれないこと」なんじゃないかなと思います。
暮らしはマラソン。
だから、立ち止まって水を飲む時間があっていい。
今日、私はひとつ覚えました。
「なにもしない日も、暮らしの一部」ってこと。