洗濯を干し終わったあと、
リビングの隅っこで、ふとひと息ついたときのこと。
窓から入る光が、床にきれいに差し込んでいて、
その中に、ちょこんと置かれたお気に入りのカップがありました。
なんでもない日常なのに、
なぜか心がすぅっと満たされたんです。
「わぁ…いい朝かもしれない」
そんなふうに思えたのは、久しぶりのことでした。
“ときめき”って、いつの間にか見失っていたのかも
若いころは、毎日が新鮮で、何かしらにワクワクしていた気がします。
新しい服を買ったとき、
お気に入りの本に出会えたとき、
カフェで一人、いい景色を見ながら過ごすとき。
だけど、いつからだろう。
「ときめき」より、「用事」や「タスク」に追われる毎日になって。
誰かのために動いて、気づけば1日が終わっていて。
夜になって、「今日は私、なにを楽しんだんだろう」って思う日もありました。
“好き”がちゃんと見える場所は、気持ちまで整えてくれる
モノを減らしてから気づいたことがあります。
お気に入りのモノって、ちゃんと「見えて」いないと、心がときめかない。
たとえば、
引き出しの奥にしまいこんだアクセサリーより、
目に入るところにある一輪の花のほうが、
私の心を癒してくれる。
数じゃない。
高価さでもない。
“私が好き”って思えるモノを、ちゃんと見える場所に置くこと。
それだけで、毎日の暮らしがちょっとずつ、豊かに感じられるようになりました。
「なんかいいな」って感じる瞬間を、大切にしていきたい
・朝、白湯を飲むカップを、ちょっとお気に入りに変える
・お皿をひとつだけ“気分が上がるもの”にする
・読み返したい本だけを、目につくところに置く
そんなふうに、日常の中の“好き”を、
少しずつ見える場所に戻してあげるだけで、
心の奥に灯りがともるようなあたたかさを感じるのです。
小さく暮らすって、感覚を大きく使えるということかもしれない
モノが多いと、気持ちも視線も、あちこちに散ってしまう。
でも、本当に好きなものを選び抜いた空間は、
感覚が研ぎ澄まされる気がします。
手触り、光、音、香り、温度…
五感で受け取る暮らしの美しさが、
少しずつ私を癒してくれているような気がしています。
最後に
“ミニマルに暮らす”って、決してストイックなことじゃなくて、
「大切なものが、ちゃんと見えるようにすること」なんだと、今なら思えます。
そしてそれは、
自分の「好き」や「ときめき」を取り戻すことでもあるのかもしれません。
これからも少しずつ、心が喜ぶものを、ていねいに選んで、
自分の暮らしを、私らしく整えていけたらいいなと思っています。