最近、「私ってこんなに疲れやすかったっけ?」と、ふと思うことが増えました。
アラフィフになり、体力の低下を感じたり、ちょっとしたことで心が揺れたり。
なんとなく「このままでいいのかな」と立ち止まってしまう日が増えています。
そんなとき、身近な人の死が訪れました。
大好きだった祖母が、静かにこの世を去ったのです。
深い哀しみの中で出会った言葉が、「生老病死」。
人は誰しも、生まれて、老いて、病み、そして死んでいく——
当たり前すぎるこの言葉が、今の私の胸に、とても深く刺さりました。
「このままの生き方で、本当にいいのかな」
「何かを変えたい。ちゃんと、私の人生を生きたい」
そう思ったとき、まず見直してみたのは、“暮らし”でした。
ダメダメ主婦の私が、はじめに見直したのは「モノ」
正直言うと、私はルーズな性格です。
朝はバタバタして、気づけば洗濯物が山積み。
買い物に行くたび「これも使えるかも」と、ついモノが増えていく。
気づけば、部屋も心も、ちょっと窮屈になっていました。
そんなある日、「とりあえずこの棚の中だけでも…」と、いらない紙袋をまとめて捨ててみたんです。
たったそれだけなのに、不思議と心がすっと軽くなって。
「もしかして、今の私に必要なのは、“足すこと”じゃなくて“減らすこと”かもしれない」
そう思うようになりました。
手放すって、「削る」ことじゃなくて「整える」ことだった
ミニマルな暮らしと聞くと、「モノを捨てる」とか「ストイックな生活」とか、そんなイメージがあるかもしれません。
でも実際は、“自分にとって本当に心地よいものだけを選び直す”という、とてもやさしい作業でした。
たとえば、
・昔は着ていたけど、今の自分にはしっくりこない服
・誰かからもらったけど、実は使っていない食器
・「いつか使うかも」としまい込んだままの雑貨たち
そういう“ちょっと気になっていたモノ”を、ひとつだけ手放す。
それだけで、心に少しスペースができて、ふっと呼吸が深くなる感じがしたのです。
今だからこそ、“私にちょうどいい暮らし”を
若い頃は「なんでもできる気がして」モノをどんどん足してきたけれど、
今は「これがあれば充分」と思えるようになってきました。
アラフィフって、人生の折り返し地点かもしれません。
だけど、だからこそ、“これから”をもっと心地よく、自分らしく生きていきたい。
もう、誰かに認められようと無理するのはやめよう。
背伸びせず、焦らず、でも丁寧に、自分の毎日を整えていこう。
ミニマルな暮らしは、そんな私の心を支えてくれる静かな相棒です。
今日からできる、ほんの少しの見直し
・読み終わっていない雑誌を1冊だけ処分してみる
・靴箱の中で出番がない靴を1足だけ見直してみる
・「これは誰のために持っているの?」と自分に問いかけてみる
それだけで、空間も心も、少しだけ軽くなる気がします。
最後に
祖母の死を通して出会った「生老病死」という言葉。
その言葉が、私の背中をやさしく押してくれました。
今の私は、ダメダメ主婦のままだけど、
それでも「ちゃんと生きよう」と思えるようになりました。
少しずつ、自分に合った暮らしを選び直すこと。
それが、これからの私の生き方なのかもしれません。